IDAクリニック産婦人科

 
2016年6月17日
テキサス追憶2

前院長 井田憲司

 私の経験したアメリカの教育は、日本のそれと大きく違っていた。日本では全てにおいて、テストの点数が大きく幅を利かせていたが、アメリカではテストも少なく、いわば、勉強の仕方を教えると言った事に時間を費やしていたと思える。機械を使った速読の練習であったり、作文の練習であったり、である。中学校は春、秋二学期制であるが、半年間履修したテキサス地理を一つ例にとると、最初の授業で生徒一人一人に、都市、河川、気候、林業、農業などの課題が与えられた。その授業では全体を通しての講義は一切なく、各人は図書館に行って本を持ち込むもよし、資料を取って来てもよし、最終授業に提出する一大論文作りに明け暮れた。
 私はテキサスの鉱物mineralが課題として指定された。石油も含めた鉱物の産地、流通、それに伴う人口の移動、都市の発展等、それを調べ上げる事で、他の事を習わなくても、テキサスの地理の大まかな骨子が頭の中で組みあがっていくという仕組みであった。覚える必要はない。年々変わるデーターは年鑑とか、新しい百科辞典とか、何をどう調べればよいか解りさえすれば、必要に応じて調べればよい。これが、勉強の仕方を学ぶという事であり、子細を憶える日本の方法と大きく違った訳である。
 点数至上主義で無いため、みんな大らかであり、たまにテストがあって点数が悪かっても、悪びれることなく、皆、点数を見せ合っていた。不思議な光景であった。それでは何もかもルーズのように聞こえるが、教師の権威は絶大で、ルール違反があると、校長室に行くように命ぜられ、かしの木のスパンキングボードでしりをひっぱたかれたり、教師の判断で小学校低学年でも中学校でも留年、落第があった。6・7・8月の3ヶ月が夏休みであるから、その間、優秀なものはサマースクールに行き、飛び級することも出来た。よって、クラスの編成がちょっとずつ、変わっていった。繰り返し、教師の権威は絶大であった。
 日本の教育は米国の民主主義をそのままコピーしたように思っていたが、生徒会もなく、自治委員会もなく、クラブ活動も無い。これは公立の小中学校共通であり、日本の民主教育とは実際かなり違うことをみて驚いた。自治とは、権利とは、ちゃんとした大人になってから付与されるもの。それまでは、親の、教師のもとに、育てられるものである事ということであったのであろうか。
 3年アメリカに居て、日本に帰ってきたが、3年間の受験戦争離脱は、大変大きいものであることを帰ってからいやというほど知らされる事となった。帰国が決まってから、父に、「中学校の校長はKenjiを大学までやらせるからおいていかないかと言っているが、どうする?」と聞かれた。確か、「日本人であるから、日本に帰る。」と言った様に覚えている。帰って来たことを後悔したことは無いが、ダンスパーティー、乗馬、キャンプのバラ色の生活から、一転、3年間のブランク取り戻しの勉強、及び受験勉強の灰色の生活に突入したことは確かで、大学では同級生よりかなり遅れる羽目となった。
 アメリカの一部となって生活した貴重な体験の一端を紹介したが、その時、文明の急激な変化をまのあたりにして(日本は徐々に追いつくこと事になったが)医者となった私が今思うことは、世の中が便利になったことは確かであるが、電化製品もさることながら、車、電車など、移動手段が格段に発達した為、日常筋力活動が極端に少なくなったことである。歩く距離が少なくなった。これは元来あるべきヒト遺伝子のプログラミングの姿からみるに、脳の精神活動も含め、多臓器に大きなしわ寄せとしてのしかかっていないだろうか。私は日常の診療でそれを感じ、患者に、寸暇を惜しんで歩くなり、運動するように勧めている。

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